今回のVR学会で発表を聞きながら、VRは心理学の学会に近づいているように感じた。VR環境を使って心理や行動を調べる。アバターを変えて自己評価への影響を見る。刺激を組み合わせて新しい感覚や体験を提示する。そうした研究を聞いていて、ずっとピンとこないものがあった。個々の結果はわかる。しかし、それによって人間について何がわかるようになったのか、次に何を考えられるようになったのかが見えにくい。
個別の結果の、その先へ
科学の重要な仕事の一つは、さまざまな現象をなるべく一般化されたシンプルなモデルで説明できるようにすることだ。その立場からすると、「この条件でこういう傾向が出た」という結果の先が重要になる。その結果はどの説明を支持し、どの説明を退けるのか。別の条件なら何が起きると予測できるのか。あるいは、その結果を踏まえて何を設計できるようになるのか。HCIでいうImplicationにも、個別の結果から次の理解や設計へ進むためのつながりを求めたい。
使えるデバイスや実験環境があり、その範囲で変えられる条件と測れる指標を組み合わせれば、研究の形は作れる。対象や条件を変えることで、知見も増えていく。しかし、実験を実施し、差を示し、論文にまとめることと、問いに答えることの間には距離がある。蓄積された結果によって、何の理解が進み、次の研究の問い方がどう変わるのか。「知見の蓄積に寄与する」という説明で、そこを済ませたくはない。結果がどう出ても、あとから同じように意義を説明できるのであれば、何を検証したことになるのだろうか。
VRの知覚研究では、電気刺激や振動刺激を与え、複数の参加者の反応を測り、条件間の傾向を比較するという形式で、取り出しやすい知見がかなり探索されてきたように感じる。クロスモーダルな組み合わせやコンテンツは、これからも増やせるだろう。けれど、体験の種類が増えることに対して、それらを貫く説明がどれだけ増えたのかが気になる。同じ実験形式で条件を増やし続けることによって、どこまで理解を深められるのだろうか。
体験を組み替える工学
ここで考えたいのは、実験の形式そのものが、何を問えるかを規定しているということだ。感覚を個別に切り分け、刺激に対する反応を測ることで、特定の関係を詳しく調べられる。一方、その切り分けによって扱われなくなる関係もある。身体の状態によって感じ方が変わり、感じ方によって行為が変わり、行為が身体や環境を変えていく。人間全体の振る舞いを理解しようとするとき、この一連の関係をどのように実験の対象にできるのかが問題になる。
VRの工学には、人間をこれまでにない条件に置くことで、こうした関係を問い直せる可能性がある。身体と視点の関係、動くことと感じることの関係、自分と周囲の環境との関係。普段は一体になっていて意識されないものを組み替えると、それまで当然だった経験が、特定の条件のもとで成立していたことが見えてくる。新しい体験が生まれると同時に、普段の体験を何が支えているのかが、具体的な問いになる。
このような研究の面白さには、着想の明快さに対して、そこから生じる振る舞いが豊かであることも関わっている。何を変えたのかは簡潔に説明できる。それでも、実際に人間が関わると、知覚や行為、環境との関係には予想しきれないことが起こる。明快な操作から、どこまで多様な振る舞いが生まれるのか。その多様さを生む条件は何なのか。説明するモデルはシンプルであってほしい。しかし、説明すべき人間の振る舞いまで、初めから扱いやすい刺激と反応に限定したくはない。
さらに、装置を作る過程そのものが、問いを具体化することもある。仕組みや素材、身体への取り付け方、環境との関わりは、体験の成立条件になる。言葉の上では一つの着想であっても、どのように実現するかによって、人が感じ、行うことは変わる。その違いに触れることで、構想の段階では見えていなかった問題が現れる。工学的な構成には、仮説を検証する条件を整える働きとともに、何を説明すべきかを見いだす働きがある。
内受容感覚という、開かれた問い
内受容感覚にも、こうした問いの広がりを感じる。身体内部の状態を感じることが、外界の知覚や行為とどう結びついているのか。身体の内側で起こる変化が、体験全体をどう変えるのか。具体的な身体の現象を手がかりにしながら、何を観察し、どの関係を説明すべきかというところから考える余地がある。
内受容感覚への関心は、その未解明さにある。現象の存在はわかっていても、それを人間全体の振る舞いの中でどう捉えるかには、まだ多くの問いが残されている。観察や介入の方法を作ることと、理解すべき対象を定めることが並行して進む。その決まり切っていなさに、感覚を個別に評価する枠組みを越えて、体験が成立する条件を考える可能性がある。
VRのこれからに問いたいこと
VR学会が30年を迎えた今、個別の現象を説明する研究が、どのように一般的な人間理解へつながるのかを問いたい。同時に、まだ説明すべきこと自体が定まっていない現象を、どう見いだせるのかも考えたい。既存の問いへの答えを精緻にすることと、何を問うべきかを変えること。その両方を進めるために、VRの技術と実験には、どのような可能性が残されているのだろうか。